【命のバトン】お腹の笑みちゃんを守り抜いた妻の覚悟 - Becoming a Father

笑みちゃんが生まれる前、実はもうひとつ、とても危険で切ない出来事がありました。

「笑み」という名前を決めた前後の12月初旬。 私の母が亡くなったのです。

以前から認知症のような症状があり、父に置時計を投げつけたり、「出ていく」と言って玄関で立ち尽くしたりすることがあった母。 ある日、父から「母が入院した。先生から『あと3日くらいだろう』と言われた」と電話が入りました。

父が散歩から帰ると母の顔色が悪く、息苦しさを訴えたため救急車を呼んだとのこと。 週の初めの電話で仕事もすぐには休めず、「あと3日」という言葉が信じられなかった私は、「今週末に行くから」と父に告げていました。

しかし、その3日後の午前中——「亡くなった」と連絡が入ったのです。本当に3日でした。

「ばばの最後に会わないとダメ!」妻の覚悟

急遽仕事を早退し、出身地である関西へ向かう準備を始めました。 子供たちにも連絡して学校を早退させ、翌日の通夜に合わせてその日の夜に出発することに。

当初、妻はお腹の笑みちゃんのことを優先し、自宅に残る予定でした。 脱落膜ポリープの影響もあり、長距離移動はあまりにもリスクが高かったからです。

しかし、出発が近づいた夕刻、妻が言いました。

「やっぱり私も行く!」

「自宅に残ったほうがいい」と説得する私に、妻は静かに、でも強い眼差しで返しました。

「ばばの最後に会わないとダメ!」

色々なリスクと覚悟を決めたような、見たことのない表情でした。

最後の面会と、妻を襲うお腹の痛み

夜の高速道路を走り、実家へ到着。 翌朝、葬儀場の霊安室で母と面会しました。

まるで眠っているかのような母。 「よく来たね」と優しく微笑んでいるようにも見えました。

私以上に深く悲しむ妻と娘たち。 会う機会は多くありませんでしたが、いつも家族を優しく迎え入れてくれた母との思い出を、みんな大切に抱きしめてくれていたのです。

通夜が終わり実家へ戻ると、妻がお腹の張りと痛みを訴え、横になりました。

翌日の告別式。 さすがに妻が参列するのは危険だと判断し、実家に残るよう話すと、相当限界だったのでしょう、妻も私の提案を受け入れてくれました。

しかし、式の間も妻は一人、お腹の痛みと「何かあったらどうしよう」という猛烈な不安と戦い続けていたのです。

溢れ出た涙と、母が繋いでくれた命

葬儀が終わり、実家に帰ってきた母の位牌に向かって、妻は静かに手を合わせました。

「ばば、最後、送りに行けなくてごめんね……」

自分自身の辛さや不安よりも、まず亡くなった母へお詫びと感謝を伝える妻。 その姿を見た瞬間、私の目からボロボロと涙がこぼれ落ちました。 母と面会した時には流れなかった涙が、止めどなく溢れてきたのです。

帰りの車内でも辛そうだった妻ですが、なんとか自宅へ戻り、その後無事に笑みを出産することができました。

笑みが生まれる直前、病院の待合室で私は祈り続けていました。 「おふくろ、どうか妻と笑みが無事でいられるように助けてくれ」と。

「笑みちゃん、おばあちゃんにそっくりだね」

無事に生まれた笑みと私たちが初めて面会できたのは、NICU(新生児集中治療室)のベッドの上でした。

出産後、ようやく妻と落ち着いて話ができるようになった時、私はふと感じていたことを伝えました。

「笑みちゃんの寝顔……おふくろに見えたよ」

すると妻も笑顔で頷いてくれました。

「そうなのよねー!笑みちゃんの寝てる横顔、ばばにそっくりだよね」

笑みちゃん。 あなたは会ったことがないけれど、寝ている時のお顔はおばあちゃんによく似ているんだよ。

だってあなたは、おばあちゃんにとっての「初めての孫」だからね。 天国のおばあちゃんが、ずっとあなたを守ってくれていたんだよ。

高齢出産,切迫早産,NICU,命のバトン,家族の絆,親とのお別れ,義母との思い出,天国からの見守り,

PAGE TOP