
全員で暮らしたい。大きな優しさで家族を包んでくれた「ぽんちゃん」のお話 - Becoming a Father

関東のある町に引っ越して、4人で家族としての生活を始めた頃。 我が家には、他にも家族として迎え入れた大切な子どもたちがいました。
猫の「さんちゃん」と、犬の「ぽんちゃん」です。
今回は、我が家にとって忘れられない存在であるぽんちゃんについて書きたいと思います。
「家族みんなで暮らせる家」を探して
バーニーズ・マウンテン・ドッグのぽんちゃんは、妻が以前の家庭で娘たちがまだ赤ちゃんだった頃から一緒に育ててきたワンちゃんです。娘たちにとっては、まさに兄弟同様の存在でした。
事情があり一時期はおじいちゃんの家で預かってもらい、庭で繋がれて暮らしていたぽんちゃん。 私たちが家族になり引っ越すことになった際、住まい探しで一番ゆずれなかった条件が「さんちゃん、ぽんちゃんと一緒に暮らせること」でした。
しかし、大型犬と室内で暮らせる賃貸物件はなかなか見つかりません。どうしようかと悩んでいた時、妻がひとつの提案をしてくれました。
「家を買おう!」
ペットを飼える賃貸の家賃と変わらない金額で住宅ローンが組めるのでは、というアイデアでした。 私たちは目先を「購入」に切り替え、郊外に建売の戸建て住宅を購入。
こうして、家族全員が望んでいた「みんなで一緒に暮らす生活」がスタートしたのです。
初対面、そして「パパおかえり」
ぽんちゃんが我が家にやってきたのは、8月の暑い日でした。
1年間外で頑張って暮らしていたため、トリマーさんにお願いしておめかしをしてからのご対面。 我が家の玄関から廊下を、のしのしと大きな体を揺らして入ってきたぽんちゃん。
これが、私とぽんちゃんの初対面でした。 ぽんちゃんは私をじっと見つめ、「ワン!」とひと声。
私には、それが「これから宜しくね!」と言ってくれたように聞こえました。
それからというもの、私が仕事から帰ってくると、ぽんちゃんは必ず玄関まで出迎えてくれ、「パパおかえりー」と挨拶してくれました。
突然突きつけられた、残酷な現実
みんなが望んだ、家族全員での愛おしい時間。 しかし、その幸せな日々は長くは続きませんでした。
年が明けた2月のことです。 私たちが旅行に行く際、お泊まりとトリミングをお願いしていた動物病院さんから妻の携帯に着信が入りました。
不安な気持ちでかけ直すと、先生から思わぬ言葉が告げられます。
「ぽんちゃん、胸に大きな腫瘍があります」
誰も気づいていませんでした。 翌日、胸に触れるとはっきりと分かる大きな腫瘍を感じながら、慌ててぽんちゃんを連れて帰りました。
バーニーズ・マウンテン・ドッグの寿命が7年前後と短いこと、そして腫瘍で亡くなる子が多いことを、私はこの時初めて知りました。
腫瘍に詳しい専門の病院で診てもらうと、先生からの見立ては「かなり大きく、持ってもあと3ヶ月ほど」という厳しいものでした。
そこから、ぽんちゃんの壮絶な闘病生活が始まりました。
涙の介護生活と、家族の絆
妻は「少しでも長く生きてほしい」と願い、高額な抗がん剤の投与も試みました。 しかし効果はあまり見られず、ぽんちゃんの体力は少しずつ低下していきます。
布団に乗せて私と妻で庭に出し、外の空気を吸わせてあげたり。 人間の大人用のおむつに尻尾用の穴をあけて履かせてあげたり。
水分を取ることすら難しくなってくると、妻は自宅で点滴の針を刺し、水分を補給させました。 「ぽんちゃん、痛くてごめんね……」と、毎回泣きながら針を刺す妻の姿を見るのは、私も胸が締め付けられる思いでした。
「少しでも長く一緒にいたい」
その一心で、私と妻は毎晩交代でリビングのぽんちゃんのベッドの横に布団を敷き、介護を続けました。
虹の橋を渡った夜
5月の爽やかな陽気になる頃のある夜。 その日は妻がぽんちゃんの隣で寝ていました。
朝方、私がトイレへ起きてリビングを覗くと、ぽんちゃんは静かに息を引き取っていました。
慌てて妻を起こし、娘たちを呼び寄せました。 「さっきまで起きてたのに、うとうとした隙に……」と泣きじゃくる妻。 娘たちも大きな涙を流し、大好きなぽんちゃんに抱きつきました。
ぽんちゃんは、虹の橋へと旅立っていきました。
ずっと我が家で見守ってくれている存在
ぽんちゃんが我が家で一緒に過ごせた時間は、決して長いものではありませんでした。 けれど彼は、家族全員がずっと望んでいた「一緒に暮らす」という大切な夢を叶えてくれたのです。
火葬を終えたあとも、「ずっと一緒にいたい」という妻の願いから遺骨を持ち帰りました。 あれから10数年が経った今も、ぽんちゃんは我が家で、私たち家族のことを温かく見守ってくれています。
ぽんちゃん、我が家に来てくれて本当にありがとう。
