妻が贈った名前「笑み(えみ)」

三女の名前が決まったのは、とても早い段階でした。 妊娠が分かってすぐの年末、まだお腹の中の子が「おそらく女の子だろう」と言われていた頃です。次女と妻があれこれと名前を考えるなかで、妻が「笑み(えみ)」と決めました。

「上の2人には、前の旦那さんとの離婚などで辛い思いをたくさんさせてしまった。この子は、いつも笑って過ごしてもらいたい」

「笑」という一文字には、妻のそんな強い願いと、子どもたちへの深い愛情が込められていました。

面会、そして別々の退院。押し寄せる不安の日々

以前のブログでも書いた通り、生まれてすぐの笑みちゃんとの初対面は、いくつもの管に繋がれ、保育器の中に横たわる姿でした。出産した日の夕方にようやく私が面会でき、妻はその日の夜にやっと会うことができたのです。

どんな姿であっても、生まれてきてくれたことは嬉しくて仕方がありませんでした。けれど同時に、大きな不安がのしかかっていたのも事実です。それは妻も同じ、いや、私以上に不安だったと思います。

そして1週間後、妻の退院の日がやってきました。 しかし、笑みちゃんは一緒に我が家へ帰ることはできませんでした。

翌日から、私の「母乳を届ける生活」がスタート。仕事から帰ったあと、笑みちゃんに飲んでもらうための母乳を持って、片道1時間かけて病院へ通いました。私も妻も、我が子を見るたびに不安になり、抱っこができるようになれば涙が出るほど嬉しくなり……毎日、本当にいろんな感情を抱えて必死に過ごしていました。

一人でお留守番をしていた、次女の優しさ

ただ、私たち以上に不安な夜を過ごしていたのは、留守番をしていた次女だったのかもしれません。

親の私たちが病院へ出かけてから戻るまで、次女は家でたった一人、帰りを待っていました。本当は次女だって、誰よりも早く生まれたばかりの妹に会いたかったはずです。それでも寂しさを堪えて、両親と妹を支えてくれていました。

チューブが外れ、ついに我が家へ!

そんな家族みんなの祈りが通じたのか、笑みちゃんは日に日にチューブが外れていきました。そして妻の退院から1週間後、ついに、ついにお家に帰れる日がやってきたのです。

生まれた瞬間は自力で呼吸ができなかった三女。 もしあのまま、うまく呼吸ができない状況が続いていたら……?

今こうして、名前の通りに我が家でたくさんの「笑み」を見せてくれている三女を見つめながら、あの激動の2週間を振り返り、命の奇跡に心から感謝しています。

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